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フォグ・ランプ 渡辺真知子

りょうが初めて「大好き」だと思った音楽は、フィンガー5、個人授業。その後アルバム2枚購入。
そして、布施明シクラメンのかほりがだいぶ好きで、いずれにせよ小学生が好き、というレベル。

りょうが本格的に音楽に爆発したのは、中2。まさに、中2www
りょうは中1の3学期末転校、中2の頭から尾山台で、そこで親が転勤を機にモジュラーステレオを買った。
これではないんだが、こんなやつ。ワンボディーに、レコードプレーヤー、ラジオチューナー、カセットがついたのに、スピーカー。
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これが、音楽を爆発させる契機となった。

画期的な2曲があった、それは渡辺真知子かもめが翔んだ日、ビリー・ジョエルストレンジャー。
かもめが翔んだ日、1978年4月21日発売、ストレンジャー、日本では1978年5月21日発売。
そう、りょうが尾山台に来て、尾山台中学校に通い始めた頃に、この2曲がまさに発売になったのだ。
りょうも自宅に来た豪勢(当時)な「ステレオ」に興味津々、客間にあったので前に座ってラジオを聴く。
そんな中で、流れてきたわけだよこんなのが。

一方夏休み。既に1978年6月25日にリリースされていたサザンオールスターズ 勝手にシンドバッドが、
りょうが祖母の家に帰省?していた時にラジオから流れた。うぉーーーーなんだこれ?
そう、この3曲当時まさに、ほぼ同時に1978年の春にリリースされたの。
まあ、こんな、大変な瞬間があったわけだ、日本の音楽がいろんな意味で大変革する時期という。

そうこうしているうちに、アース・ウィンド・アンド・ファイアー 宇宙のファンタジーが、
1978年6月19日付のオリコン洋楽シングルチャートで1位を獲得した(ウィキ)のでラジオでかかりまくる。
うぉーーーーーーかっこぃーーーーーーーーー!!!!たまたま友人がシングル買ってて、借りて録音した。
したら、今で言うところのダイナミックレンジが劇的に落ちて全くよくない、そこからオーディオに興味を持ったわけだ。

ともかく、百花繚乱のごとく、大変な楽曲が次々と生まれた「瞬間」が、この1978年春というわけだ。
とりわけりょうが好きになったのが、渡辺真知子。

当時、「ニューミュージック」という完全に新しい概念が立ち上がろうとしていた。
今でこそいろんな後講釈がつけられているが、当時誰もが「ニューミュージック」だと思ったのは、
その始祖である吉田拓郎たちフォーライフ連中ではなく、この渡辺真知子であり八神純子だ。そう、古いフォークをひきずってない。
確かに、ユーミンは既に、最初からフォークでなかったせいもあり、ニューミュージックの原型をつくっていた。
しかしあえて言おう、この1978年春、日本に「J-POP」が生まれたのだ。ニューミュージックという名のもとに。

何がすげえって、庄野真代飛んでイスタンブールが1978年4月1日、サーカスのミスターサマータイム3月25日、五輪真弓さよならだけは言わないでが3月21日、
原田真二タイムトラベルが1978年4月10日、ちょっと外れるが前後に、大橋純子たそがれマイ・ラブが8月5日、八神純子思い出は美しすぎてが1978年1月5日、
みずいろの雨が1978年9月5日という形。それに加えて上記渡辺真知子とサザンが誕生している。こんな強烈な楽曲が、何故か、1978年春を中心に生まれた。

またこの年、杏里がオリビアを聴きながらでデビュー11月5日、竹内まりやが戻っておいで・私の時間でデビューが11月25日。
どんだけすごい年だったか。

そんな時、目の前にピカピカのステレオがあったりょう、前述洋楽では宇宙のファンタジー、ストレンジャーなど、
もう、これで音楽はまらねえやついねーだろ、という環境になってしまったわけだ。

でだいぶ迂回をしたが、そんな渡辺真知子の2ndアルバム、フォグ・ランプ。
フォグ・ランプ
あまりヒットしなかった3rdシングル「ブルー」が入った、1stの半年後の1978年11月1日に発売されたもの。
確かりょうはこれ、高校に入ってから買ったからリアルタイムではないが、2年後って感じだね。もちろんLPレコード。
これは、CDwこんなもんクリックしてもりょうには1円も入らないから興味ある人はどうぞクリックしてねw

このアルバムは、なんか妙にこってる。冒頭が、ただのインストなんだが、妙にファンキーなインスト。
それが唐突に終わって、ゴージャスな感じの「今夜は踊って」が唐突に始まる。
次に、シングルの「ブルー」なんだが、これが異常に音が悪い。頭に来るほど。このアルバム最大の欠点。
そして、まったりとしたイントロ、歌い出しの「赤い服」、しかしこれ歌詞が深い。考えてしまう。
その次は、「今はどのあたり」という、妙に切れ味がある曲。かなり、好き。
最後は、軽くドラマチックなタイトル曲、フォグ・ランプ。これも、歌詞が、リアルと呼ぶより生々しいと言いたい。

A面が終わって、B面の頭は「予告編」。この歌詞がすごい。50代オサーンがそんなもん理解するのはきめえかもだが、ものすごい伝わる。
2番の歌い出し
 久しぶりにふたりきりで見たラブ・ストーリー
 愛に迷い 愛に傷ついて捨てられる
 主人公の涙が私の胸に伝わり
 ENDのマーク じっと見ているのつらかった
  席を立ってそっとあなたに寄り添うと
もうゾクゾクするわ、映画見て共感して、「そっと」彼氏の腕に寄り添いたくなる気持ち。
自分の中にも、そういう心があるし(男だがw)、また彼女ちゃんやら準そういうの???が、そうなったことも大変な数あった。
ちなみにこれは本人作詞ではない、伊藤アキラという男の作詞、でも本人のものかどうか置いといて実話臭い。
次、光るメロディー、これも大好き。非常に展開がバランスのいいメロディーと、切れ味のいい編曲。
歌詞は渡辺真知子の曲にしては珍しく入ってこない。
次は、「少しはまだ悲しいけれど」こちらが、歌詞は完全なストーカー、ちと判断にこまる楽曲で曲も特に?って感じ。

次、黒い天使。極めて特徴的なイントロ、音量も控えめでシャランというチェンバロのような音の感じなんだが、これが妙に刺さる。
このイントロのフレーズが全編に流れながら、友人?に呼びかける渡辺真知子視点の本人作詞の歌詞が続く。

  あなたを黒い天使と読んだら
  悲しすぎてしまうかしら
  こわれそうで みてられないの
  今夜はどこから電話してるの
  たぶん そこはいつもの店
   あなたひとりでいるの

  ブラック・エンジェル 心の罪を重ねては
  すがる愛にまたやぶれて
  ブラック・エンジェル さけてもころぶ愛だけど
  天使は笑顔が似合うもの

  くずれた心をひとりで泣いて
  マニキュアライトに身をゆらし
  いつも自分にウソをついて
  あわれな笑いは煙草(けむり)でにごし
  翼なんてあるのも忘れ
  あなたそれでいいの
  ブラック・エンジェル 黒い衣をぬぎすてて
  見つめるのよ 本当のこと
  ブラック・エンジェル
   強いひと(女)にはなれないの
  天使は裸が似合うもの
  天使は裸が似合うもの

おそらく、不倫ばっかして捨てられてばかりいる、とてもだらしない、弱いコの話。
天使と呼べるほど魅力的なコなのに、自分から不幸になり、そして苦しみさまよう。
徹底的に弱い、ダメなコ。

りょうは、こんな女性を現実に知り合いにしたことがない。
でもそれは、りょうが、弱いやつを徹底的に嫌いだからだ。
いや、語弊がある、よく言っていたのが「最初から強いヤツなんかいない、ダメなのは、強くなろうとしないヤツ」
そう、強くなろうとせず、人によりかかろうとばかりする人間を嫌悪する。

渡辺真知子は、このコに、畳み掛けるように、穏やかなメロディーに乗せて語る。
不可思議かつ、耳に残るその特徴的なイントロのフレーズに乗せた、説教なのか嘆きなのか、そんな言葉。
でも、渡辺真知子は、彼女が美しい翼と美しい笑顔を持つ天使だと、わかっている。
わかっているから、悲しすぎる、だから、言葉を綴る。彼女の心に向けた、半ばあきらめの。

りょうの中でこの曲はこのアルバムにおいて、最高に好きな曲だ。
歌詞はまるでMVの風景のように、心に浮かぶが、心に迫らない、あくまで他人事。
言葉に反して、浮かぶ光景は美しい。そしてメロディーもアレンジも美しい。
心が動かないかと言えば、動いている、歌詞同様に、静かに、しかし熱いものがある。
あらゆる意味で、異常に完成度が高いと自分は思っている。そして本当に大好き。

そしてこの曲が終わると、唐突にオープニングのインストの特徴的なファンキーなシンセのフレーズ。
で、同じようにインストで終わるのかと思いきや、突然ドラマチックに展開し、スリリングな曲調に転向するのだ。
ミッド・ナイト。当時の楽曲としては、最高にカッコいい、しかもオープニングのフレーズを交えた良曲。
ラスト前のサビの終わりのドラマチックさは特筆できる。そして最後に再び、上記のフレーズで終わっていく。

このアルバムは、りょうの中では、上記1978年、ニューミュージックという名のもとにJ-POPが誕生した年の、
綺羅星の如く名曲がさざめく中における、アルバムNo.1の評価である。


by ryouchanxp | 2019-07-24 02:57 | 音楽 映像 | Comments(0)

横浜帰りに、尾山台

さて、JOGA洋らんフェア2019 in YOKOHAMAの行きは湾岸だったのだが、
帰りは第三京浜経由、東京ゲートブリッジ経由で帰った。
行きの湾岸が混んでたので、第三京浜では、久々の、150km/hから加速する快感を(フィクションです)。
やっぱいいわ、我が愛車、とんでもねえ運動性能、高速道路ではまじで化け物だ(断じてフィクションです)。

でも別コースにしたのは、三京が空いてるかどうかはわからんので高速ぶっ飛ばすためではなく、
無論湾岸の高速代1,300円を三京の380円にケチるためでもなく、ゲートブリッジ通りたかったわけでもない(ちょっとはあるw)

というのは、また、りょう中3の時の故郷尾山台に寄ったのだ。
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この道が、りょうが中2~中3の時にいつも歩いていた家の前の道。
りょうが住んでいた、お隣が貸家用に建てたと聞いた超ぼろ家は、なんかちゃんとした個人宅になっていた。
家の前にあったお墓はもちろん健在、だがお寺のほう、傳乗寺は、なんか昔とは違う門構え。

画像の後ろの角には、双子の娘さんがりょうの2個下だった、近所で食品と雑貨のお店やってたおうち。
そのお店はなくなっている。
でも自宅の方にかかってる表札は、相変わらず彼女たちの苗字。
近所だから、ちょっと仲よかったのだな、元気なのかな?

尾山台に来ると、不思議な気分になる。
当時の面影が随所にある一方で、自分が住んでたぼろ家も含め、変わった部分もある。
ただ、確実に、あの頃自分がここに、この街角に、いたのを、感じるのだ。

夜に憧れ、夜の世界を颯爽と生きる「若者」になりたいと、夜の世界を知りもせずに憧れてた中3の頃のりょう。
高校2年あたりで、新宿のディスコから六本木に進出、あげく大学1年じゃキャバクラのスカウトのバイト六本木新宿銀座の夜を徘徊、
その後ちゃくちゃくと?夢を叶えた自分www

他にも、前に17歳バトンってのをやったのだが、ここに出てくる
「大人とは、あきらめてしまうことを覚えた人たちである」と喝破、
それ以来「大人にはならない」と決意して、
てのは、尾山台で昼のニュース見ていて、「サラリーマンの夢No.1は、マイホームでした!」というのをやっていて、
日本のサラリーマンというものに極めて強い憤慨をして、上記を思った、これも中3、尾山台の出来事。
そして、見事第一志望でまた上記に出てくる「新宿農業大学高等学院、略して農大学院という高校」に合格。
三田の色魔低能大学付属日吉にも合格、わりと真面目に勉強した成果を遺憾なく発揮した。

まあ、今の惨状wwはおいといて、当時夢見た未来は、なんかたいがい、実現したよなあ。

あと、尾山台時代に、一番思うのは、りょうは、この時一番、友達が多かったのだ。
というか、高校以降友達すくねーすくねー、社会人になって一桁、30台になって数人、40台以降ゼロww
なのに、中3の時のりょうは、なんかクラスの司令塔みたいなことやってて、
球技大会はメンバーを種目でりょうが全部決めて、3回の球技大会全て優勝したようなこともしてた。
当時、地区で最強の不良だったTの親友という立場で、強大な権力を握り、学級委員に指示を出す存在だった。
なんせ、不良グループなのに学年3位の成績、運動も出来るしクラスの権力はTに次ぐレベル。

今で言うスクールカースト頂点の一人だったのだな。
運動会ではヒーローだったし、中1にファンクラブあったしww
そんな、まさに青春の輝きが一番まばゆかった頃、それが尾山台にいた中3の時代。

戻りたいか?いや人生であの時に戻りたいと思うことが一度もない。
今の自分が一番好き。
常に、その時が一番。

でも、だからこそ、今は失った価値を燦然と輝かした、この地に来ると、胸に温かいものがこみ上げる。

ああ、なんて素晴らしい人生だったのだろう。

そんな気分になれるから、ここに来てしまった、そしてきっとまた来てしまうのだろう。


by ryouchanxp | 2019-06-29 18:11 | 外出 | Comments(2)

高田馬場から歩いて早稲田の三品食堂へ

今週月曜、健康診断で、大塚へ。
帰りに、三品の牛丼を食べたくなった。

りょうが、稲が早期収穫できる田んぼの研究で知られる新宿農業大学に通ってた頃、
まあよく食った牛丼屋さん。正式には三品食堂らしいが、誰もそう呼ばず三品と呼ぶ店。

高田馬場から歩いて、、、途中にあるのがコットンクラブ。画像は高田馬場遊歩道さんより。
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りょうが大学生の頃、こちら地下しかないお店だった。
何がすげえって、地下の店が、ビル全部に侵食したらしいwww
地下の感じは、まるでりょうが行ってた頃のまんま。画像はお店のHPより。
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このお店、当時(今もっぽい)ベースのボトル入れてるとカクテルが安くなった。
りょうは、ジン、ウォッカ、ラム、テキーラと4本ボトル入れてて、カクテル飲みまくってた。
昔通ってたお店が、今もあって、その上大発展しているって素敵だなあ。
本日は、三品が目的なので通り過ぎた。

一方ちょっと先に、りょうがバイトしていた、都内有数の超カッコいいバーがあった。
名前は、Kelly's。ネットで探しても一切出てこないが、こちら、いつか挙げた
銀座OPIUM、神宮前G-FACEBARに次ぐほど、すんげえカッコいいバーだったのだが、今はもうない。
今の入り口こんな。
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懐かしい道を歩いて、いよいよ三品へ。11時50分頃到着。
これが、りょうが思う、次元が違う牛丼!
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くっそうめえ!やっぱ牛丼は三品!至高の牛丼!

さて、お店を出たら長蛇の列。
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今も学生に人気なんだねー。食べログの点とかあてにならん。

さて、最寄りの駅に向かうと、おっと当時からあるお店!
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かつてのりょうの友人で、今は多分裁判官やってるKくん御用達の、キッチンオトボケ。
すげえな、30年前から続く食堂。

電車で地元帰ってきたら、なんかテラスっぽい季節限定のお店あるわ、健康診断のあとは健康を害そうw
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生ビール500円、なんか充実した一日(午後過ぎで)だった。

by ryouchanxp | 2019-04-24 16:46 | 外食 | Comments(0)

銀座

1985年、りょうは、銀座の街をうろうろしていた。

何故か?それは、まだキャバクラという言葉が無かった時代、
「キャンパスパブ」というくくりの今で言うキャバクラのスカウトとして、
街ゆく女性を勧誘するという実にろくでなしなバイトをしていたのだ。

今日、株式投資の資金調達のために銀座にある某不動産担保ローンの会社に出向いた。
途中、ぶったまげる建物が、、、数寄屋橋阪急、、、、
H2数寄屋橋阪急 2001.02.16
どうしてこうなった!
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銀座四丁目交差点の方はまだ来たことあったんだが、こっちはまるでなかった、よもやこんなことに。
ちなみに、上記数寄屋橋阪急の写真は、こちらのサイトからお借りしますた。

で、いろいろ銀座でスカウトしてた時代のことを思い出しちゃったんだよね。

当時りょうは、日本最先端の街が銀座だと断言していた。
それは、所属していた今で言うキャバクラの系列店六本木、新宿を経て銀座勤務だったのだが、
銀座に来てその古いイメージが完全に覆ったのだ。

当時プランタン銀座が開業した銀座は、なにか新しいムーブメントが起きていた。
その象徴たるお店が、銀座CINESEだった。

ネットを丹念に探しても、ほんとに情報少ない、銀座6丁目にあったバー。

こちらのブログでは『脛に傷持つオヤジ達にはお馴染の名前「チネーゼ」』なんて書いてあるが、
まあ当時流行を「つくってた」方の人が通った店、という感じなんだよね。
圧巻は、同店が同店の地下に開業した、OPIUM。
今日、先程から超ネットを漁っても、全くまともな情報がない。

それはもはや、異次元の、意味不明なほどに凄いバーだった。

こちらのサイトに、痕跡が残っている。
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なるほど、1983年に両方オープンしてたのか、りょうが知ったのは上記の通り1985年夏のこと。
しかしこの設計事務所すげえwりょうが行ったことある店、ナバーナ、レッドシューズ、ラ・ボエム麻布、
メーキャップ、チネーゼ、オピウムに行ったことあるよすげえ率w
で、このOPIUM言葉では著せない凄さは、上記の「企画・デザイン:アンドレ・プットマン」で理解できるだろう。
異常だよ銀座のバーが、世界的建築デザイナーの手によるものとか。

当時、そんなプランタンだの上記だのという新しい動きと、串揚げの磯むらだのつばめグリルだのという古いのが、
双方存分に存在感を発揮していた、自分においては最高にカッコいい街だった、そんな時代。

今日、そのチネーゼ跡に、安そうな焼肉屋が出来ようとしていた。
なんか虚しかったw

そして、帰りに通称ソニプラ、あのメグをはじめとした数々の女のコ多分3桁以上と待ち合わせした場所に来てみると、、、
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なんか、店というよりスペースになっちゃってた。

もう、自分が知る銀座はどこにも無い感じしかしねえなあ。
こうやって、人は老いていくのね。

追伸:上記OPIUMに匹敵する化物バーが、都内にもうひとつあった。
それは、フェイスビル最上階にあった、ギャラリーフェイス、付属のバー、G-FaceBar。
異次元空間度合いは、OPIUMに勝るとも劣らなかったこちら、情報をあさってみた。

たったひとつ、こちら。「フェイスギャラリー」と書いてあるが、ギャラリーフェイスなんだよね。
こんなビルにあったんだな。


ビル自体はまだあるんだが、名前が原宿フェイス8953ビルからBPRスクエア神宮前Ⅰになってる。
多分フェイスビル時代のオーナーが趣味でやってたギャラリー&バーだったのだろうね。
調べるとどんどんいろいろ残念が重なってくるわな。

by ryouchanxp | 2019-03-27 17:40 | 外出 | Comments(0)

ロッテリアのリブサンド

おそらくこの世のほとんどの人には全くもってどうでもいいことだが、
りょうがりょうのすべての知人のおそらく1%も知らない話として、
りょうは、大学1年の時、ロッテリアのアルバイトをして、更に半年ほどでそれをクビになったw
今で言うキャバクラのスカウトで伝説的成果を挙げ、金銭感覚が狂いすぎたので修正しようと唐突に始めた。
時給多分600円台、ところで何故マックや他のバイトでなくロッテリアだったのか。

それは、リブサンドが好き過ぎたからであるw
あれマジで美味いだろ、と言っても既に30年以上食べてなかった。
今日、髪切りに行って、帰りにロッテリアを見かけて、あんのかなーーー?とメニュー見たらあったのだ。
なんでも、2012年の創業40周年のアンケートで復活希望一位だったので復活したそうな。
で、当然に、食べる。
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セットにしたので780円したのだが、、、、久々に食べたリブサンド、、、くっそうめえwww
実際復活希望一位ということは、実はりょうのように思ってたヤツ、けっこういたんだね。
しかもおもくそ無能でシフト減らされて実質解雇されたしょっぱい想い出もエッジが効いてて味を引き立てたぜ。


by ryouchanxp | 2019-03-03 19:49 | 外食 | Comments(2)

昭和末期のザ・深夜!と言える3曲 長山洋子、カンガルー、アンルイス

さっき、長年探していた、MVをつべで見つけたのだ。
あまりに嬉しいので、エントリーにしちまおう。

それは、長山洋子/ユアマイラブ。すげえ探したがみつからない、思い出せない深夜番組確かドラマのエンディング。1987年。

エンディングだからエンドロールとかの背景に映るこのMVが異常にカッコよく思えたのだ。
ドラマを思い出せないのが、すげえ悔しい、ドラマの方もかなり好きだった記憶。
でもちろん、エンディングで番組の映像も映るので、ところどころしか見たことなかったまさにりょうにとって幻のMV。
当時速攻シングルは買った。
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結局MVのほうは、長年(ガチ30年とか)探していても映像作品としても全く見つからず、半ば諦めてたんだが、
今日あっさり見つかった、よりによってつべに!いやこれかっこよくね?32年前にしては?
演歌歌手に転向してからは、完全にどうでもいい歌手になっちゃったが、この頃は好きだったんだよねー。

次、A NIGHT IN NEW YORK/カンガルー、こちら、渡辺自動車研修所のCM曲。1986年。

後半出てくる民族衣装っぽい日本人のコは福原みどりさん、実はりょうの高校の同級生の当時元カノ。
高校時代はまだこのバンド(カンガルー)にはおらずタレントやってて、そいつから「応援してくれ」と頼まれた。
その後、大学生になりそいつと無縁になって、深夜のテレビを見ていてこのCMでこの曲超気に入って、
CD買ってバンドのことを知ったら、、、、あのコじゃん!!!!とびっくりしたのはどうでもいい話か。
で、この曲、アルバム買ったら、余計なコーラスが入ってて、CMのオリジナルバージョンと異なる。
上記CMと上記動画を聴き比べたらわかるんだが、そのオリジナルバージョンでないことにがっかりした。
そしたら、2014年に、そのオリジナルバージョンを、元アルバムに一曲追加したアルバムが発売された。

「自動車メーカーのTVCMとしても使用された名曲 "A NIGHT IN NEW YORK"のシングル・ヴァージョンをボーナス・トラックとして追加収録!」もちろん即購入、こんな状態になった。
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左が、元のアルバムで、右が、シングルバージョンが追加された方。やっぱ、当時深夜聴いたまんまがいいのだ。
この曲は動画のコメント見てても、当時深夜にテレビ見てたヤツが全員知ってると言っても過言じゃない曲w
今聴いて、当時深夜テレビ見てた頃の気分が蘇るレベルの記憶になってる。
それにしても、なんでわざわざアレンジ変えるかね、その違和感半端なかった。

そんなヤツの極みと言えるのが、六本木心中/アンルイス。1984年。
この曲を初めて聴いたのは、テレ朝の深夜ドラマ「トライアングル・ブルー」初回放送、エンディングで、驚愕した。
ドラマが終わって、よく覚えてないが、なんか余韻が残る感じの中突然このイントロが入ってきたんだ。
うわーーーーーーかっけーーーーーー!!って、超しびれたのを今も覚えてる。
なんせ、とんねるず主演にもかかわらず、六本木を舞台にした、異様に雰囲気がいいドラマで、
その第一回を、当時六本木がモロ生息地だったりょう、いたく感動して見終わって、そしたら、これだよ。
相乗効果もあって、すっげえしびれた。そんなのは人生通算で、これと、ELTのtimegoesbyだけだね。

で、言わずとしれたこの曲、出回ってる音源のほとんどが、りょうが好きになったオリジナルでなく、上記。
冒頭、「ワンツースリーフォー!」という掛け声が入る。あとドンチューゴーのコーラスが全然ダメ。

Wikiによると、
初期プレスは「別ジャケット(サングラスなし)・オリジナルバージョン(カウントなし)」とされているが、これは発売から約1ヶ月後の1984年11月9日にジャケットを刷新し(サングラスあり、ピンクのジャケット)音源もリミックスしたもの(カウントあり)に差し替えられたため。広く知られているのは刷新後である。
だそうだ、こちらもシングルEP買ったんだが、買ったのが遅かったらしく長年上記音源に写ってる画像である刷新版。
それからずいぶん、オリジナルバージョンのEPや音源探したんだが、1991年のベスト盤でオリジナルバージョンが入った。

ということで、こんなふうにw
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ほんと45rpmレコード音源(CDより圧倒的高音質)なのに右、いらねえw

ということで当時、オリジナルの素晴らしさを台無しにするリミックスが、何故か深夜関連の名曲で起こってたんだな。
どちらも、オリジナル音源入手した後は、オリジナルしか聴いてない。

それにしても、長山洋子のMVが嬉しいのであった。



by ryouchanxp | 2019-03-02 17:34 | 音楽 映像 | Comments(0)

今井美樹 オレンジの河

「希代の良曲」というのがあると思う。

代表的なのは、REBECCAのフレンズ。
激しく感動するとかそういうのでなく、メロディーや歌唱や編曲が、ものすごく好きになれる曲。
何回でも何回でも、別に感動するとかではなく、聴きたくなる曲。
だからあえて「名曲」とは言わず、「良曲」という表現をとる。
そして、これ重要なんだが、メロディーラインのオリジナリティーが非常に高いこと。
どこかで聴いたフレーズが、あまり感じられないこと。
かつ、シンプルでストレートなメロディーであること。変な凝り方してないというか。

でだ、りょうがこの歴史的、希代の良曲という概念でフレンズに次いで思い浮かぶのが、
タイトルである今井美樹「オレンジの河」。
実はシングルですらない、ただのアルバム曲なんだが、けっこうファンが多い。

で、この曲を今回2つの視点で、論じてみたいと思うw

ひとつめ、あらたに、というか遂にというか、「オーディオ」タグを設けた。
この曲こそ、ハイエンドに近いレベルのオーディオ必須と自分が考える曲だからだ。

この曲をもともと聴いていた環境は、スピーカーがPioneer S180Aという、1980年にペア11万で発売された、
当時名作の誉れ高かったスピーカーを、某ショップにてウーファーのエッジをセーム革にチューンして更なる高音質化したもので、
2000年当時、ペアで30万円クラスのスピーカーと張り合える音だったと自分では思う。
機器類は当時LUXMAN最上位プリメインアンプ L-509Sに、42万円のユニバーサルプレーヤーDU-7。
音源、ディスクはオリジナルアルバムではなく、ベストアルバムのIvoryだった。
で、他の曲に比べて、この曲が妙にナロウレンジというかハイ落ちかつ、低解像度に聴こえた。
それでも好きな曲なので、わりと聴いていたのだが。

その後りょう、おそらく生涯最後になるスピーカーとなるだろうほぼハイエンドの一角であるスピーカー、
B&W802Diamondを導入、ある日この「オレンジの河」を聴いたのだよ。

ぶったまげたね。全く、ナロウレンジでも低解像度でもない、抜群に音がいい曲だったのだ。
元のスピーカー、S180Aの価値を一番正確に表すなら、「エージング前のB&W802Diamondと同等の音」だ。
なんせ、初めて802を鳴らした時に、既存のPioneerと音が大差なくて愕然としたのだ。
無論、エージングで、もう化ける化ける、一気にハイエンドの一角になったが、逆にエージング前なら、
B&W802Diamondに遜色ない音、それがうちのPioneerS180Aというスピーカーの能力だ。
そんな関係性の2台のスピーカーで、真逆の、「音源の音が悪い」「音がいい」という差が生まれた。

機器類はその時は上記と同じなんで、純粋に、スピーカーの能力差ということになる。
まあ、ペア30万レベルと、ペア200万しかもコスパ超絶と言われた802Diamond、能力差は大変なもんだろうが、
それにしても、「悪い方」から「いい方」に見事に変わったのが、マジでぶったまげた。

ようは、この曲、ただのハイレベルなオーディオでは、その真価を全く発揮できない、
準ハイエンドレベル以上のスピーカーでないとだめな、非常に珍しい曲なんだな。
正しく言うならば、スピーカーに準ハイエンドレベルの解像度を求める曲で、
それに至らないスピーカーでは、「妙にナロウレンジかつ低解像度」に聴こえるという。

次に、この曲の論点は、歌詞だ。
横顔だけで 「送るよ」と言うの
激しいワイパーのむこう
インターチェンジ 渋滞の灯り
街中 深い海の底
車止めて 時間を忘れて
愛が終わるの 見たかった
さようなら ともだちでは
苦しいの 本気だったの
オレンジの河は走る
消えては瞬く想い出を 追い越して
土曜日ならば 高速に乗って
最後の海を見たでしょう
幾つの恋が ここから生まれて
通りを 何処へ流れるの
近くに来た時は 電話して
きっと 微笑んでみせるわ
これからは 髪のかたち
気にせずに 自由でいいの
ここでいい 飛び出す街
お互い ひとりの孤独へと 帰るのね
さようなら ともだちでは
苦しいの 本気だったの
オレンジの河は走る
あなたを追えない哀しみも 流れてく
「横顔だけで送るよと言う」のは、車の助手席に女性がいて、運転席に男性がいる形。
で、運転手少し機嫌が悪い。
その理由は、のちのち明かされる。

「激しいワイパーの向こう」、つまり二人車の中からワイパー越しに外を見ている。
「インターチェンジ、渋滞の灯り」、これは間違いなく、テールランプである。
「街中、深い海の底」、これなんだ、テールランプの灯りがあるのに、深い海の底。
視覚情報が気分によって、強く影響されてしまっている。
要は、海底レベルの気分だということ。眼の前の灯りが暗闇に見えるほどに。
それほどに激しい、落胆がある、ということなんだな。
いちフレーズ後にいきなり起こる矛盾、この歌詞の難解さ、びびるぜ。

次が、もう凄まじい。

「車止めて、時間を忘れて、愛が終わるの見たかった」
この時点では、何が起こったのか全くわからない。
この理解不能なフレーズ、最後まで聴いて深く思考しても正解は導けないが、
のちにあるとんでもねえ可能性が見えてくる。

ちなみに、この事象が起こった時間が、「送るよ」の前なのか後なのか。
「インターチェンジ、渋滞の灯り」「街中、深い海の底」
この景色を見るこの二人は自然な解釈ならば、既に高速道路に乗っているわけだ。
つまり、実は「送るよ」が、現時点の少し前。
そして、「車を止めて時間を忘れ」られる時間は、「送るよ」よりだいぶ前以外論理的にありえない。
この時系列は、しっかりと把握しておきたい。

次に「さようなら、ともだちでは、苦しいの、本気だったの」
ようやく、前フレーズはおいといて、何が起こったのかわかった。
女性が、本気で好きな男性、しかし「ともだち」と表現されるレベルの関係性の男性と、別れた直後だ。
「別れた」というのは、「ともだち」という表現にはそぐわないが、しかしこれは本当に「別れた」のだ。
何故か。

それは、この二人は、いわゆる「ともだち以上恋人未満」といった、極めて中途半端な関係だからだ。
ようは、女性から見れば男性は「ともだち」ではない、恋人になってほしい相手。
しかも、後の歌詞でわかるが、この二人、かなり頻繁に海までドライブしている。
そして、この女性は、そんな「デート」で、「恋が生まれ」た。

「オレンジの、河は走る、消えては瞬く想い出を、追い越して」そう、この女性には、たくさんの想い出がある。
この男性とのデート、消えては瞬く想い出、こんな表現をとるほどに、切なく温かい想い出の数々。
オレンジの河がナトリウムランプなのかテールランプなのかは、作詞者に聞かないとわからんけど、
まあ高速道路に沿って赤色の灯りが流れている姿を河と例え、心情風景としている。

二番、「土曜日ならば、高速に乗って、最後の海を見たでしょう」で、「最後」と言うからには相当来てるw
「幾つの恋が、ここから生まれて、通りを何処へ流れるの」
前述の通りだ、一般化しているが、これは自分について起きたことにほかならない。
そして、「何処へ流れるの」と、自らの恋の運命を恨めしく口にする。
ちなみに、「見たでしょう(未遂)」「ここから(既遂)」明らかに矛盾であるが、
ここは曲との整合性でこのような歌詞になったのか。
いずれにせよ、「ここ」と言っている以上、二人は「最後の海」には来ている。

「近くに来た時は、電話して、きっと微笑んでみせるわ」これけっこうすごい。
多分「今日」この女性は、全く笑顔ができない状態になってる。
男性の方も冒頭「横顔だけで送ると言うの」と彼女が述べていることから、笑顔を向けることができない。
そうだ、この日二人の間には、かなり強い悲しみが存在していたのは間違いない。
そして、けっこう遠くに住んでる二人が、距離を乗り越えてデートを頻繁にしていたってことだ。
遠くと言っても、車で送れる距離だから江東区と八王子位かもしれないが、実際すんげえ遠い。
よく送ってたんだよなあ、例えば湘南の海から八王子まで送って東京の東の自宅まで合計3時間とかかけて。
そんな「近くに来る」ことがそうは無い距離に、二人は住んでいるのに、送るのだ、彼女を、いつものように。

改めて、こんなことをする「男女」が「ともだち」であろうはずがない。
やってることは恋人同士だ、しかしこの女性は、「ともだち」だという。
何故か。それは、一般的な男と女の決定的な性差がある。

りょうは、最初に凛と別れてから1年経過後からの約5年、誰とも付き合っていない。
凛より好きになれる人はいない、だから、彼女を待ち続ける、そう決めて、実践していた。
で、そんな彼女無し生活を26から30はじめ位までしてたのだが、その間女性関係がなかったのか?
真逆で、りょうの人生上この5年は、最も、多くの女性と、深い接点を持った時期であった。
当時、りょうの女友達と呼べる存在は、東京から西へ向かい岡山・福山・佐賀あたりまで社内だけで全国に40人位いた。
そして、例えば佐賀のコなんかは、同じ会社だったのだが、研修で東京に来て、帰りにうちに一泊とかwww
そう、全国展開企業の本社商品部「西部四国本部」担当りょう、仕事を通じて電話で仲良くなった友達が大量にいた。
当然本社内でも「社内恋愛のプロ」かのように自部署、他部署を問わず遊びまくり、
前にどっかに書いたが、りょうの3年次上から5年次下まで9年次、2人以上の同僚と性的関係にあったり???
それだけで、単純計算で18人だが、当然同期やら前後の期は2名というわけもなくww

当然社内活動だけでなく、税理士の友人とのナンパや博報堂の友人やら社内同僚の伝手で、社外活動も極めて活発で?
よく覚えているあたりで日銀のコやらINAXのコやら、何故か取引先のOLが課長の名刺で電話くれて仲良くなったり、
もう意味不明なほど「知り合い」が増えて、その数は楽勝で100人超え、おそらく150人位いたと思う。
なんぜ、一時期は週三で違うコとデートしてたもんね、多分3年位毎週。
そして、むしろ「性的関係を持てなかった」方をよく覚えているほどに、率にして8割位、「落とした」。
中には、彼氏がいるけど一生懸命口説いて、3回そういう関係になれたが、結局彼氏と結婚しちゃったメグとかもいた。
このコは、りょうは絶対奪えないと半ば確信してたから、彼女にしたいとか思っていなかったが、
彼女になってくれたら、それこそ凛を裏切って彼女になってもらってたと思う。という話は置いといて、

さて、この人達をりょうはなんと呼んでいたか、もちろん、「ともだち」だwww
原則論として、上記メグと、このブログでは詳しく述べたことがないが日銀のコと、上記5年後に、
遂に凛を諦めて付き合ったピアニストのコを除けば、凛ともう一度付き合うという確固たる意思があったりょう、
多分100人を超える、そういう関係のコとは、恋人同士になるつもりは全くなかった。
日銀のコも最初はそうで、それがあまりに深い付き合い(精神的に)になって、りょうが付き合う方に傾きかけたら、
相手が他の人と結婚しちゃったのだなあ。ふられてやんのwwけっこうショックだったなああれ。

で、ようやく本題、そんな莫大な数のコの中で、ちゃんと「俺は凛という存在以外彼女に考えられない」と、
はじめの頃は相手にあまり話しておらず、普通に遊び人風に彼女つくらない主義みたいに言ってたんだが、
そんな中で、ひとり、りょうが本社2Fで、1Fの関係部署の同期のコと遊んでた時に、そのコに言われたこと。
どういう会話だったか前半覚えてないが、りょう「だって、そういう(彼氏彼女)関係じゃ無いはずだろ?」
そのコ「私はそれじゃあ、いやになったの!」

その時はりょうがそのコを遠ざける形になったが、その逆バージョンが、この歌詞なわけだよ。
「ともだちでは 苦しいの 本気だったの」
彼女は、りょうの如く、やってることは彼氏彼女以外の何ものでもないのに、彼女にしてくれない相手に、
ついに別れを切り出したということなんだ。

それじゃあ、男の方はこの事態をどうとらえているのか。
冒頭の「横顔~」のとおり、かなり強いショックを受けている。
こんな話が出る前は、きっと、彼女の方を向いて、笑顔で「送るよ」と言ってただろう。
それが、彼女の方を向かない、これは、向きたくないんだろう。
不機嫌と言えば不機嫌なんだが、それは、彼女に対してではない、今起こっているこの事態に対してだ。

そう、上記の通り、りょうはこの男の心情はすごくよくわかるのだ。
この男性にとって、この女性が、りょうにおける日銀のコのような存在だったに違いないと思うから。
きっとこの男も、りょうのように、なにか事情があって、その女性を彼女にできない。
でも、本当に、彼女のことを、好きなんだ、じゃなきゃ何度も遠距離のコを送るハメになるのに、
海まで頻繁にドライブするなんていうデートしない。
そう、メグは八王子に住んでて、りょうはいつも前述の通り3時間とかかけて、彼女を送った。
ともだちどころか倦怠期の彼女だってそんなことしたくないだろ?でもなんも嫌じゃなかった、彼女を送ること。
日銀のコは、うちから車で5分位だったから楽だったがw

で、歌詞に戻る。「これからは、髪の形、気にせずに、自由でいいの」
どんだけ好きだったんだよw髪型まで、男性の好みに合わせていた女性、彼女の想いの深さを思い知る。
「ここでいい、飛び出す街、お互いひとりの孤独へと帰るのね」送ってもらってる途中で、車を降りてしまった。
自分で選んだ「別れ」という選択、その結果に、彼女は耐えられなくなってしまった。
「近くに来たら電話してきっと微笑んでみせるわ」どんだけ無理した強がりなんだよ。
そして髪の形が自由になる、という普通はポジティブな要素が頭をよぎり、結果彼がいない日常をリアルに感じ、
一緒にいることに急に耐えられなくなり、車を飛び出す、逆説的にこの選択が、
上記の強がりが、激しい心の痛みをともなって思ったことかわかる。
また、この男性りょうと違って、こんな関係の女性は彼女だけのようだ。
別に彼女がいて、ということではない、「お互いひとりの孤独に帰る」のだから。

可能性としては、りょう型なんだろう、忘れられない、唯一無二の女性がいて、
死別か別離かわからないが、その女性の存在が巨大過ぎる、だから、彼女にできない。
でも、りょうもそうだったが、失ってしまった巨大な存在があって、ここまで親しくできる関係、
りょうにとっての日銀のコもそうだったが、とてつもなく特別なコである。
だって、その存在と比べて、見劣りしないからこそ、長時間一緒にいることが苦にならない。
巨大な存在に見劣りする人と一緒にいると、そういう「存在」がある人間は、相手とすぐ離れたくなってくる。
無論、何時間もかけて送るなんて選択肢は無い、あったらただの苦行だ。
でも、過去のりょうも、この男性も、彼女を送る、それは彼女が、とても大切な存在だから。

そして、そのコの存在で、りょうが、そしてこの歌詞の男性が、どれだけ救われたか。
自分は、本当によく覚えている。
日銀のコは、りょうにとって、救いそのものだった。
凛がいない辛い日々も、彼女といると温かい気持ちになれた。
あまりに大切だったので、りょうは次第に、そのコを彼女にしてもいい、という考えが頭をよぎるようになった。
この男性も、邪推かもしれんが、きっとこの女性に対して、似たような感覚を持っていたのではないか、と思うんだ。
そんな時、りょうは彼女に、職場の男性と結婚すると告げられ、この歌詞の男は、彼女から別れを切り出された。
そういう話。

そして最後に繰り返す。
「さようなら、ともだちでは、苦しいの、本気だったの、オレンジの河は走る、あなたを追えない哀しみも、流れてく」
あなたを追えない哀しみが、流れていくとまた強がり。
流れていくわけないじゃん、これは彼女の「希望」だ、この河に、流れていってしまえ、という。

歌詞があまりに難解過ぎて、頭に入って来ないし、そもそもこれに共感する男女なんざ、
1,000人にひとりもいないと思うんだ、特殊過ぎてw
でも、こうやって考えると、ようやく、前半の謎、「車止めて、時間を忘れて、愛が終わるの見たかった」
これについての、たったひとつの可能性が判明する。

ようは、この二人は、最後の海に来て、最後のセックスを、車の中で、いたしていた。
いやサイテーの解釈だが、それ以外の可能性あるか?w

というか、これ、実話じゃなきゃ、なんでこんな難解で共感を得られるはずもない歌詞にしたかわかんないでしょ。
すべては、作詞家の実話で、彼女の、大切な想い出を、記しておきたかったんじゃないか、と思ったんだ。
無論、彼女と彼の、最後の、「愛が終わ」った、車の中の秘め事も含め。

by ryouchanxp | 2019-02-24 09:43 | 音楽 映像 | Comments(0)

尾山台と、ジュリアナ ?w

vibrato74師匠のブログのエントリーでこんなのがあったのだが

こちらのコメント欄に、とてもりょうなどという、この世で最もインモラルな部類の人間が触れちゃいけないような善良な方と、
師匠がりょうのコメント欲をかきたてるやりとりをしていたのでw、思わず自分のブログでエントリーする。

まずはワルナスビ。名前も凄いが、ぐぐったら、本気で悪いヤツすぎるwww
茄子なのに毒あるってなんだよ、トゲもあるんだよ、どんだけ悪いヤツだよ。
このサイトでは、最悪の外来種と言われ、下記サイトでは「ワルナスビテロ」となw

と、エントリー自体がちょっと面白かったのだが、そこについたコメントで、環八、轟というキーワードが。
ちなみに、轟じゃなく、等々力なんだと思うのだが。

以前、ルーツというエントリーで、我がルーツたる世田谷区尾山台の話をしたのだが、この尾山台、
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等々力のいち区画みたいなとこだったのだ。
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尾山台駅は地理的には等々力にあるしw、りょうが通った尾山台中学校は裏が等々力なのであった。
尾山台という地区は小さくて、歩くとすぐに等々力、玉堤、玉川田園調布(世田谷区)、そして大田区田園調布に出る。
そして、尾山台・等々力を貫通する環八、環状八号線(上記黄色の路)。自転車で、親の車で何百回も通った路だった。
思わず、懐かしいコメント内容に、ノスタルジーを刺激されたのであった。

一方、コメント欄では話が突然ジュリアナ東京に飛んだのだが、りょうは実は91年のオープン初期ジュリアナにかなり行ってた。
一緒に行ってたのは当時の彼女で、山脇卒のコだったのだがその親友の山脇のコと、その彼氏と4人でよく行ってたのだ。
で、その彼氏はゴールドマン・サックス勤務で、その人が「あーあそこにうちのボンドチームいるー」とか言ってたこともある。
ようは、りょうの如き日系証券投資銀行部門エリート(あくまで当時ww)やら、GSの如き米系投資銀行のヤツが行くような、
大変ハイソなディスコ(西麻布yellowまでクラブという概念はない)であって、あんな半裸のおねいさんいなかったのだぞw
湾岸ブーム最盛期の店だったが、あんな風wになったら、ディスコの格を創るような客層はみんな逃げていくわなあ。
もともと、初期は86年にできたトーキョーベイゴーゴー、89年の芝浦GOLDやインクスティックあたりから流れた客だったはず、
もとに戻ったり、仕事忙しくなって卒業したりしたのだろう、というかりょうもそうだからな、実際ぱったりと行かなくなった。

と、人のブログのコメント欄で自分語りしたくなってエントリーつくってみたが、いまさらながら自意識過剰な俺きめえw

【20:19追記】
ふと、上記を書いたあと読み返して、もしやあの当時の「湾岸ブーム」を誰かが記してるのではないか?と思い、
上記で検索してみたら、凄いの出てきたw
そうそう、ウォーターフロントだよwそんな言い方しとった。
そして見事に、
古い倉庫を改装したライブハウス「インクスティック芝浦ファクトリー」と、(略)スペインレストラン「タンゴ」がオープン(略)
ほどなく周辺には倉庫や古いビルを改装した「芝浦ゴールド」「東京ベイ・ゴーゴー」「ハーバーライツ」「ジュリアナ東京」
などが相次いでオープン
タンゴとハーバーライト(自分の記憶では「ツ」ではない、あと東京ベイゴーゴーでなくトーキョーベイゴーゴーな)以外をちゃんと網羅しとったわ。
ちなみにハーバーライトはトーキョーベイゴーゴー以上によく行ってたバーで、由紀さおり夜明けのスキャットとかかかってた。
つまり踊る店ではない(踊ってるヤツいたが)、一方トーキョーベイゴーゴーはフィンガー5学園天国で踊るお店w
タンゴは行ったこと無い。


by ryouchanxp | 2018-11-11 17:06 | プロフィール | Comments(0)

ガーデニング

自慢じゃないが?りょうは今に至るまで、とてつもなく失った。

自分の中ではこれ以上の恋愛があるのか?という次元の数々の恋愛(除く結婚に至ったやつ)。
人生を変えたレベルの、中3の初めての大恋愛、このブログでも出てくるKIMIKOあるマイミク、そして「」。
当然すべて終わってる、つまり失っている。

実は「娘」に関しては、このブログの最後のエントリー2006年7月に一度終わって、
2008年7月に復活して2012年まで続いてたんだな、その時彼女には息子と娘(本物)がいたw
そして彼女の息子娘も含めて、まるで親のような心境にすらなったが、失った。
他にも、宝石のような素敵すぎるコたちとの、心がとけるような心身ともにの??交流、
なんせ全部で60人位と付き合い、付き合ってなくても恋愛関係にあるという謎の関係?も多分100以上はあった。
カラダの関係がある女友達が、いつも大量にいた女友達の7割以上を常に占めていたのだなあ。
そしてもちろん、そんなことする位だから、ステディーではないがただの友情とかではない。
また、りょうはエッチそのものにたいした価値を感じていないので、セフレの類は一度も持ったことがない。
すべて、軽いか重いかは別として、ちゃんとした恋愛関係だった。
そんな、恋愛をできる能力そのもの、つまり自分の男性としての魅力を失い、結果すべて失ったw

前職まで走り続けたと思われる、超エリート的なキャリア。
途中からは主にベンチャーで、経営判断の一部、それも極めて重要な一部を担う役割を担い続けた。
それを、失ったし、戻る気が失せた関係で、完全に失った、今はただのワープアだw
これは失ったというより、普通に、落ちぶれたwww

【8/22追記、つーかひどいど忘れw】
32のときにけこーんした5年の結婚生活をりょうにくれた元奥さん
生涯、添い遂げると確信していた、何の疑問もなかった。
校正が相対的に非常に重要な出版社?の、最重要校正部門のナンバーワンエリート、
標準的な部員の3倍のスピードで一切のミスがないという異常な能力に、
部長ですら彼女の意見に全く逆らわなかったという30過ぎたばかりの若き女王年収6百万、
りょうも上記の通りで、大変なエリート夫婦だったのだが、特に友人が多かった元奥さん、
ほぼすべての週末を二人で過ごし、まるで引きこもり夫婦のように週末一緒にいた。
平日は毎朝腕を組んで最寄り駅まで二人で出勤、りょうの11時帰宅も食事は二人で。
食事のあとは時間があれば二人で録画のテレビドラマを見てあれこれ、毎日が本当に楽しく幸せだった。
そんな、最愛の奥さんも失った。【追記終わり】

ずいぶん前のことになるが、評価で2億超える資産を有していたが、2/3は評価額の減少で、
そして残りは、ただの浪費でww失ったwww
6千8百万を、主にキャバクラと愛人と彼女(金額的にその順番)に使ったわけで、
その後の年収や株式投資の利益から逆算すると、楽勝で1億3千万は浪費している計算になる。
ひどいときは半年間、毎月300万前後使ってたりしたからねえ、そりゃなくなるわなw
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で現在、貯金や資産どころか借金しか残っていないw

でも、負け惜しみでもなんでもなく、今、実に満ち足りている。
多分自分は、果てしなく、居心地のよい住環境が好きなのだ。
もちろん、それより恋愛が好きだが、それを実践する能力がもう自分にはない。
それを、自覚すると、そういう欲求が失われる。

我が部屋は、防音性能D-75を誇る、深夜3時にガチャリックスピンのライブDVDを爆音で楽しめる部屋であり、
そして、自分が広さ以外これ以上ないと思える最高に居心地いい部屋で、最高に素晴らしい音で音楽や映像を楽しめる。
そして部屋に飽き足らず、テラスまで進出したその欲望は、部屋ほどではないが、極めて満足な結果を出している。
それが、りょうの、ガーデニングだ。

テラスで、空を見上げながら、
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そんなことを考えていた。ここのライトは、右側にもうひとつつける予定(もうライト自体は買ってあるw)。
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芝ちゃんは、今はあんな(前エントリー参照)だけどwきっとリカバーされるし、そしたら冬も青々とした庭になる。
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これ去年の年末の状態、高麗芝はもう全滅している頃、うちの芝はこんなにも蒼碧してた。
そして左を見れば、野菜たちと、越冬チャレンジを目指し、エクステリアとして巨木化させたい連中とか。
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テーブルの上にはサラセニア、そして右は、宿根朝顔を排水管に巻きつけて開花を目指したり、
フェンスに洋蘭をくっつけてみて、ここ、こういうの増やそうと思ってたり。
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どこを見ても、ああ、なんか(・∀・)イイ!と思ってしまうのだな。

自宅以外何もかも失ったようなものだが、その残された自宅が、自分に最高の満足をもたらしてくれた。
なんというか、幸せだと思う。

自分に対して深い理解を実現して、自分が、何が大切か、というものを確信して、それを大切にする。
そして、それ以外を失っても、それを後悔したり、卑下したりしない。
自分の人生を、満足する、そんな、生活の智恵。

by ryouchanxp | 2018-08-19 19:15 | 生活の智恵 | Comments(0)

ルーツ

車のバッテリーが上がった。
JAFに来てもらってとりあえず始動、充電のために、長時間長距離走る必要があるなー、、、、
東京ゲートブリッジでも走るかね、と思い、一方。

小学生位の頃、rootsという黒人のドラマ?を見た、たいして面白くなかったが、記憶には残ってる。

で、もうそろそろ死にそうwなりょう、自らのルーツを考えてしまう歳になった。

りょうのルーツ、それはまず第一に、世田谷区尾山台だと思った。
そして、第二に、横浜だと思った。

そんじゃ、車の充電がてら、東京ゲートブリッジ経由で尾山台と横浜いくべかwww

まず、東京ゲートブリッジ、これすごいのよ。
ここらへんから、
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距離にして17キロ位か、一度も信号にひっかからずに走れる。この赤いグダグダ線?位w
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そして信号ひっかかった場所は既に環七東京の南の始点位、そこから環八、尾山台へ。

世田谷区尾山台。世田谷区立尾山台中学校、りょうはここで、音楽特に洋楽、そしてオーディオに目覚め、
成功者になる決意をし、なるべく受験勉強に勤しみ結果双鶏本流直系の双方に合格した街。
生まれたて初めて狂いそうな恋愛をし、夜の世界、大人の遊びに憧れ、要は現在のりょうの原型が完成したのがこの街。
りょうが住んでいた家はもう建て代わっていたが、裏の小川は昔のままだった。
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中学校の時の彼女の家の前を通り過ぎたが、表札は昔のまま、彼女の名字だった。

尾山台をあとに、第三京浜を通って横浜へ。第三京浜では久しぶりにぶっ飛ばしてみた、でも最高160km/hがやっと(フィクションです)。
で、3京降りてどこいこっか、あ!「山手の~ドルフィンわー」のドルフィン行ってみよう、
かつてデートやら仲間とやら、深夜にひとりでよく行ってた、ユーミンの「海を見ていた午後」の舞台。
「ソーダ水の中を貨物船が通る」という歌詞は、武田鉄矢をして「こんな歌詞かくヤツと戦えない」と作詞をやめさせたという。

あ、もう深夜には行けないんだ。
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営業時間が、~21時となってる、1の文字が、たしか3から塗り替えてあるw
まあ今は知らんけど、深夜に、2Fでなく3Fでの雰囲気は、ちょっと別世界だった。

8/12追記:
なーんか記憶と建物違うと思ったら、なんと1998年に建て替えられてたそうな。
こちらの記事が詳しいが、りょうがいいと思ってた「3F」は、この記事で言う「2F」で、
今は1F(りょうの感覚では2F)は利用していないとのこと、しかもその建物自体がもう違うのだね。
で、1F(りょう的2F)は本当にタダの喫茶店で、当時も特別感ゼロなのであったw
:追記終了

次は、中華街。週に3日は会社に車で来て、会社帰りに横浜に来てたりょう、なんつーか自宅より地元な気分だったw
当時よく行ってた「頂好」(ティンハオ)は既に閉店してるが、その斜め前位にあるこれって、あの店の経営者だよな絶対w
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関帝稜があるこの道にいつも違法駐車で来てたw
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さて、次は数々の我がナンパシーンでも最も重要な?女のコ連れてってた、東神奈川のStarDustへ。
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まあ、最も手強い相手を落とすのに、大活躍してくれた店だった?w
ちな隣のPOLESTARは行ったことない。
これらに会社帰り平日週3日、そして週末土日に友人宅へ週2回、つまり週5で二十代後半横浜来てたりょう、
こりゃ立派なルーツだろマジでww

さて、横浜を去ろうという時間は既に18時半過ぎ、どうせなら横浜で食べて行こうか、ということで家系総本山吉村家へ。
土曜日なので1時間近く待ちで着丼、多分10年ぶり位の吉村家、今のりょうには辛すぎたが、でも非常に旨い。
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地理ではないが、40代前半に月間45杯ラーメン食ってたりょうとしては、多分通算5回目になる吉村家等のラーメンも立派なルーツのひとつ。
ということで、横浜を後にして第三京浜、ゲートブリッジ経由で自宅に帰還。
しっかりと自分のルーツを確認できたナイスな一日であった。

by ryouchanxp | 2018-08-11 22:38 | プロフィール | Comments(2)