「恋」「愛」論

裏表同時共通日記っす!両ミクの方は、せめてかたっぽ読んでねw

高校時代に、「愛」と「恋」について考えた。ラブソングで、「恋はやがて愛になり」みたいな歌詞が多いように思うが、上記以降の高校時代からおいらは、このテの歌詞に強い違和感を感じる。当時至って、今も変わらぬ結論は、恋と愛は、全く別のものだ。間違っても恋は愛に変わるものではない。

愛って、この世に沢山ある。親子愛、兄弟愛、友情(友愛)、師弟愛、果ては人類愛まで。これと、恋愛の愛って、基本的にこれらと何も変わらない。愛とは、与えるもの。それは、「してあげたい」という心。恋する彼氏や彼女や旦那や奥さんに対して、まだ幼い我が子に対して、成長著しい生徒に対して、飢えに苦しむ人々に対して、人は「してあげたい」という愛情を芽生えさせ、愛という名の行為を与える。こう考えると、基本的に愛情って、上から下に、優れてるもの(もてる者)から、劣るもの(もたざる者)に、与えらるものだということがわかる。別に全体的な優劣というよりは、そういう部分という感じ?もちろん前回日記で述べたように、長所には短所が付いてくるので、どんな人間でも愛することは可能だ。でも一方少なくとも、相手が完璧だと感じられたら愛は生まれない。子が親を愛するようになるのは、親の弱さや人間臭さを感じた時。親が絶対者のうちは、間違っても子は親を愛することはない。完全無欠の先生も、生徒から愛されないし、完全無欠の彼氏がいたら、彼女は愛しようがないだろう。人はどこか、相手の、可愛い部分、劣る部分、よく言えば愛すべき部分を見つけて初めて、その人を愛する。そりゃそうだ、そういう部分がない人に、人は何をしてあげられるわけよ。自分が相手より優れてると思う、ないし相手に与える価値があるものをあげることで、自分より劣ると思えるその部分に、自分が自分の力で何かしてあげられると思えるから、人は人を愛するのだ。

ところで、よく「無償の愛」という言葉があるが、これについて10年ほど前からおいらは、こんな風に言っている。「無償の愛は存在しない、しかし、無償で始まらない愛も存在しない」。つまり、愛は始まった時は、いつでも無償だ。だって、「してあげたい」心って、見返りを求めて発生するわけじゃないでしょ?大好きな彼氏彼女の可愛い部分を見て、まだ幼い我が子を見て、成長著しい後進である生徒を見て、飢えに苦しむ人々を見て、人はごく自然に愛情を発生させる。「この人(たち)に、してあげたい」。そこに、何も見返りという発想はない。

ところが。

一度愛情を注ぐと、人は何故か、見返りが欲しくなる。おいらが「無償の愛は存在しない」と言う理由だ。注いだら、注いだ分、返ってこないと不満になる。とても愛情豊かな人でも、莫大な愛情を注げばやはり見返りを期待するし、愛情に乏しい人は、ちょっとした愛情の注入で、すぐ見返りを期待する。この点、愛情は、とてもお金と似ている。お金持ちは沢山使えて、大胆な投資も出来るし、貸したり投資したお金が長く帰ってこなくても平気だけれど、貧乏人はちょっとしたお金でも、人に貸したり投資したりすると、すぐ生活に困って汲々としてしまう。なのでとてつもなく愛情豊かな人が、少なく注いだ愛情は、無償になることはあるが、それって、要はお金で言えば「はした金」だから。でも、程度問題で言えば、豊かな人は相対的に、無償に近い愛情を注ぐことは出来る。ただ、それは決して無償の愛情ではない。急いでる時に1円落としても無視して行くけど、どんなに急いでても全財産の半分落としたら絶対に拾うという話。注いだ愛情が、持てる全ての愛情に対して、あまりに少ないから無視できたってこと。「無償で始まらない愛も存在しない」。だから、誤解が生じる。間違っても、「無償の愛」なんて信じないようにwww


一方、恋って何だろう。普通に恋とは、惹かれること。憧れ、異性として好き、求める心。そして、何故求めるのか。それは、相手にその価値があるから。自分にはない価値、自分が求める価値を、相手が持っているから。こう考えると、恋って、下から上への方向性を持つのはわかるだろう。もたざるものが、もてるものに求める行為。普通に、愛と真逆w 恋が愛に変わるだぁ?寝言言ってんじゃないってwww恋と愛は別で、そして別であるから素晴らしい。

そしてここで、「恋愛」という言葉の凄みが、おわかりだろうか。同じ人間に、愛という感情と、恋という感情を同時に持つこと。それは2人が、お互いの長所を知り求め合い、お互いの短所を知り与え合う。すなわちそこには、相互の長所から短所にいたる全人格的理解があり、2人の間で、愛という名の与える行為と、恋という名の求める行為が常に循環し、2人の間で価値が強烈に回転する。そこにあるのは、強烈なシンクロ、莫大な価値交換、そして相互の成長。こうなるまでに、時に人は大変な努力を必要とし、苦しみや痛みを我慢する必要がある。それは別稿に譲るが、もし、おいらが思う真実の恋愛に達した2人は、この世で最高の価値を手にすることになる。それは、リアルタイムで成長し、一体化する、心からの幸福感。おいらも過去、何度か体験した。

一方、愛だけで繋がる関係でも、それはとても意味がある。恋がその人を求める気持ちである以上、それを受け入れてやれない、求めるものを与えられない人は相手の気持ちに罪悪感を感じるだろう。そんな恋は、ない方がいい。また時に人は、一方的に愛情を注がれる必要がある時がある。19歳のおいらもそうだった。愛情は、心の傷や病を治す唯一のお薬。場合によっては、人は「恋愛」よりも愛だけの関係が重要となる。ただ、何も求めず、その人を愛すること。そんなことも、恋愛と並ぶ重要な価値。おいらは、そんなことも含めて、ひとりひとり、運命がおいらに導いてくれた素晴らしき人たちとの関係を、正しく、自分の一方的な気持ちを振り回すことなく、正しく実践していきたい。おいらには、どうやら人並みはずれた愛情がある。時に、人から無償かと思われるような、莫大な。だから、おいらはちっとやそっとでは、見返りを求めることはない。だってそれって、おいらが昔、ある人にしてもらった、とても素敵なことだからね。
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by ryouchanxp | 2008-01-29 01:36 | 恋愛論
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